オンボロの安アパート、その二階にある一室。 狭い六畳間に俺とこいつがいる。 その女は安っぽい娼婦が着るような薄いキャミを一枚着ているだけ。 どでかい巨乳がこいつの頭の悪さを示しているかのようだ。 頭に届くはずの栄養を胸に吸い取られたかのような性格は、今まで俺を散々悩ませてきた。 まぁ、俺も似たような姿に似たような性格なんだけどな。 シャツとトランクスだけの服装に、後先考えない性格。 これがこんなことになるとはな。 因果応報だっけか?そんな言葉通りの状態だ。 そんなことを考えていたらこの女が話しかけてきた。 女「ねぇ、どうしたらいい?」 はぁ…今はこの女がとても煩わしく思えてくる。 このまま腹を蹴ったら流産でもしないのだろうか……。 男「ちっ……」 つい舌打ちをついてしまった。 それほどまでに俺は焦っているのだろう。 女「やっぱり産んだ方がいいのかな?」 女は俺の舌打ちに気づいていないのか、能天気な面をしている。 やっぱ口先だけの女だな。 口調は戸惑っているような感じだが、焦ったような感じを顔に出していない。 ただ俺に話しかけたいだけなんだろうな…。 男「あぁ……」 それがわかっている。いや、わかってしまったからこそ、生返事になってしまう。 こんなだけど一応、付き合ってるんだよな…。 付き合ってるからこそ、恋人の営みをしてしまい、今の状況になったわけで…。 はぁ…なんで避妊してなかったんだろうかな。あの日の俺…。 女「わ、わかった。じゃあ、産むね?」 今、この女の腹には俺の子供がいる。 俺らには育てる環境もなければ金もない。 明日何を食べようか迷うくらいの生活だ。 それなのに子供。 産んでも育てれない事は分かり切っている。 なのにこの女は産みたがる。 そこまでして俺との繋がりが欲しいのかよ。 男「あぁ、産めばいいさ。俺とお前の子だ」 こういう言葉が欲しかったんだろ? そう言い聞かせるように呟いてやった。 女「う、うん!私達の子供だもんね!私、産むよ!」 はぁ、途端に元気になりやがった。 皮肉も効きやしない。 このまま産んだって育てられない事なんて分かり切ってるのにな。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 深夜、湖の畔、俺はボートに繋いである鎖を持ってきたワイヤーカッターで断ち切る。 男「行くか」 人に見つからないうちにさっさと終わらせたい。 そう思うと、どこか早口になってしまう。 女「うん……」 それを理解しておきながらも、この女のゆったりとした動きに俺は怒りを感じてしまう。 ちっ、こいつが産むから…。 責任転嫁だとは俺も分かっている。 だけどこう思っていなければ俺のチキン精神はもっと早くに壊れてしまっていただろう。 こいつが産んだのが悪い。 こいつが避妊しなかったのが悪い。 こいつが俺を誘惑したのが悪い。 こいつが巨乳なのが悪い。 すっかり口癖のようになってしまったこの言葉を脳内で叫ぶと、俺の心には平穏が訪れる。 …と、いつのまにか湖の真ん中についていたようだ。 男「そんじゃ、始めるか」 俺がそう言うと、女はビクッと体を震わせた。 男「おい、早くしろよ」 焦ってしまう。焦っている。焦らない方がおかしい。 口調にトゲが入るが、そんなことも気にならない。 それよりも人に見つかる方が怖いね。 女「ごめんね、ごめんね」 そう言って女は赤ん坊を湖にボチャンっと落とした。 女が必死に泣くのを堪えているのを見つつ、俺はボートを漕ぐ。 わざわざボート漕いで湖の真ん中まで来なくてもよかったよな。 山に埋めるとか、海に投げ捨てるとか、湖よりはバレにくい方法があったはずだ。 だけどこの女がグチグチうるさいから結局、湖に捨てることにした。 …この湖、人気がないからどこか怖いな。 人気が無いから選んだんだがな…。 はぁ、人を殺した責任が俺の心を攻めたててくるのかわからないが、さっきから動悸が激しいし、思考が上手く回らない。 もう終わったのに何に焦っているんだろうか。 男「着いたぞ。人に見つからないうちに帰るか」 一応、この女に構ってやらないとな。 すぐにダダを捏ねる。どうせまた俺が不利益を被るだけなんだ。 さっさと終わらせるに越したことはない。 女「ぐすっ……うん…」 いつまでメソメソしているつもりなんだか……。 そんなに育てたければ俺の目の届かない、俺にまったく関係のない所で一人でやっていればいいものを。 俺はなんでこいつと付き合ってたんだろうかな…。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 男「はははは…走ると転ぶぞー!」 娘「だいじょーぶー!」 結局、俺と女は結婚した。 仕事で出世したのと同時に、子供も生まれた。 出世したのもあり、俺の心は穏やかになった。 まさに順風満帆だ。 あの過去の出来事なんか忘れて、俺と女と娘で幸せに暮らす。 いずれ娘が結婚して、俺が老人になり、娘に子供ができる。 そんな未来が今からでも予想ができるんだ。 何も問題はない。 このままずっと幸せに……。 娘「パパ!湖に行きたい!」 いきなり娘がそんなことを言いだした。 あのことを思い出したくないから今まで必死に隠してきたのにだ。 男「えっ、なんでだ?」 娘「湖に斧を捨てると金の斧が貰えるんだよ?パパ知らないのー?」 どうやら娘はおとぎ話を信じているみたいだな。 つい微笑ましくなってくる。 だけどあの湖には近づかせたくない。 何か得体のしれないものを感じるから…。 俺はそう思い、娘を説得しようとすると…。 女「そうだねー、金の斧がもらえるもんねー」 …このアマが! まったく、昔から能天気なのは変わらないな。 きっとあのことなんて忘れているのだろう。 男「仕方ないな……」 この女も説得するとなると骨が折れるので、その前に俺から折れておくとする。 俺が女に甘いだけなのかもな…。 三人で手を繋いで歩いていくと、やがて湖の畔につく。 さて、斧もないのにどうやって湖の妖精を呼び出すつもりなのかな。 娘は湖に近づいて、中を見ている。 この湖は汚くて底が深い。 落ちたら助けれないだろう。 俺はそんなことを危惧して、娘のそばに立っている。 湖が汚い事がわかっただろうし、このまま帰ることになるんだろう。…娘は不機嫌になるだろうがな。 苦笑しつつ、そんなことを考えていると、娘がさらに我儘を言った。 娘「パパ、あれ乗りたい」 娘が指差すところにはボートがある。 きっと、湖の真ん中まで行って妖精を呼び出すつもりなんだろうな。 だけど、湖の真ん中は俺達にとっての鬼門だ。 これ以上の我儘を許すわけにはいかないのだが…。 女「ボートに乗れば妖精さんも出てくるかもねー」 本当にこの女は…! …まぁ、今はあの時みたいに深夜なわけでもない。 何かが起きるわけないさ。 自分にそう言い聞かせなくては、得体のしれない何かが俺に襲い掛かってくる気がした。 そして俺は娘から手を振りほどき、ボートが繋いでいるところまで歩いていく。 ボートの繋いであるところにつくと、俺は小屋に顔を出し、呼びかける。 男「すみません、ボート借りられますか?ってあれ…?」 いつもボートのところに座ってるオッサンが見当たらない。 …まぁ、いいか。 勝手に借りて、後で金を払うとしよう。 幸い、ボートには鎖がついてなかったのが一つあったのでそれを使う事にする。 男「おーい!」 俺は娘と女を呼び出し、ボートに乗せる。 男「よーし、見とけよー!」 あんまり怖い事を考えすぎると本当に怖い事が起こると言う。 ならばそれを忘れて楽しもうじゃないか。 俺は娘に良い所を見せようと、張り切ってボートを進ませる。 力強く漕いだボートはグングンと進み、すぐに湖の真ん中についた。 男「はぁ、はぁ…どうだ……何も…ないだろ……」 張り切りすぎたのかもしれない。少し息切れを起こしてしまった。 女「パパ力持ちだねー」 …本当に能天気な女だな。 まぁ、いいか。そんなことは忘れて…。 娘「パパ、おしっこしたい」 ……また我儘か。 男「向こうに…戻る……まで……我慢できる…か?」 一応聞いてみたが、今すぐ戻るのは難しいだろう。 息切れが半端無いのだ。 娘「むりぃー」 笑いながらそんなことを言わないでくれ。 頼むからお前だけは女に似ないでくれよ。 男「仕方ないな。ここでしちまうか」 めんどくさいしな。 心の中でそんなことをつぶやきながら、俺は娘を抱っこする。 女「ここでおしっこできる?」 娘「がんばるー」 なら、なんとかなりそうだな。 男「よいしょっと…早く終わらせてくれよ?」 娘「うん」 ボートに気を使いながら俺と女は娘に小便をするように促すのだが、一向に出てくる気配がない。 娘「ねぇ、パパ?」 男「なんだ?まだ出てこないのか?」 娘は湖の方を向いていて、女は娘を見ている。 なのに俺に視線をぶつけてる何者かがいる気がする。 はやくここから戻りたい。 そう思って、娘の方に顔を向けると…。 ……娘の首は180度曲がって、こちらを見ていた。 目は赤く充血し、顔は土気色をしている。 まるでこの湖で溺れたかのような顔付きだ。 男「え、ぁ……」 驚きで声が出ない。 何か言わなきゃ。そう思ってるのに、誰かが口を塞いでいるかのように声が出ない。 なぜだ。早く喋らなきゃ。何かを喋らなきゃ。 娘が喋る前に、この女が喋る前に。 速く。早く。疾く。 娘「今度は落とさないでね」 そう言った、娘の口からは汚い水が溢れていた。